〈寺院紹介〉高台寺

霧島市牧園町高千穂3864-5

℡ 0995-78-2304


 <由来>

 大正の初めの頃、奈良県宇智郡阪合部村樫辻の西本願寺派専崇寺の住職・坂口昭円は、本願寺布教師として、熊本県下の布教の序として、鹿児島の霧島温泉を紹介された。そこで、現地の状況を見聞してみるに下記の如き様相であったと伝えられている。

 「当地には、三里離れた所に西本願寺派の寺院はあるも、参詣に不便をかこち、葬式も出来ぬまま葬ること度々である。ましてや、春夏秋冬の四季に仏縁を結び得ぬ人々の多く存在している。」

 しかして坂口昭円は、かかる未開地を開教することこそが宗教家の使命であるとして、自坊であった奈良県専崇寺には代院を住居させ、自らは薩摩最初の地霧島で見知らぬ人々との生活の中、布教に専念し、幾多の困難を乗り越えながら、同朋信者を一人二人と求め、説教所設立の大願をかかげるに至った。

 説教所設置認可を申請するに当たり、三里余り離れた本願寺派の寺院を尋ね、同意を願い出るも同意を得られず、この為転派のやむなきに至る。

 <転派・説教所開設>

 本派隣寺の同意を得られず、本派としての説教所を設置できなくなったが、同地区の信者代表、堀切清彦・蔵前仁蔵の2人より、「当地は聞法不便故に、是非とも説教所設立を願いたい」との情熱に心動かされた坂口昭円は、ここに意を決して本派と袂をわかつ事となった。

 そして、時をまたずして、鹿児島興正寺別院院長・田宮宗淳の同意を得て興正派に転派の手続きをなすと共に、大正11年3月26日、信徒79名をもって真宗興正派の説教所として認可を得、翌大正12年8月26日、霧島硫黄谷温泉地区に、霧島会館を設立、落成式を挙行するに至った。

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大正13年 3月19日 霧島説教所と改名

大正14年 9月22日 高千穂地区に、高千穂説教所設立及び落成式挙行

昭和15年 3月20日 高千穂布教所と改名

昭和22年 7月28日 「高台寺」と寺号公称認可

昭和47年10月15日 寺地を現在地に移転

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