2020.06.19 08:29〈寺院紹介〉西興寺宮崎県都城市高野町3020-1℡ 0986-33-2284 <沿革> 吉川迦葉が幡智吼(都城市広昌寺開基住職)の要請により西嶽村に赴任したのは、昭和2年10月15日のことであった。当寺西嶽村には、幡智吼の化導による20人ほどの同行がおり、これらの人々を中心にして説教所開設も可能であると予測されたが、しかし赴任直後の布教活動は容易でなく、予定の説教所も庄内の隣村の反対などで心ならずも開設できぬありさ...
2020.06.19 08:27〈寺院紹介〉広昌寺宮崎県都城市蔵原町10街区30号℡ 0986-22-3576 <開基住職・幡 智吼> 明治43年に幡智吼は、鹿児島へ35歳の若さで本山使僧を拝命、布教師として在鹿。 その後、ひとたび本山に帰るや、本常上人に宮崎県下に興正派が一ケ寺もない、是非開教をと上請。すでに霊山別院にあった専正学寮の監督兼教師として宗意安心を講じていた幡智吼の開教にかける情熱に、本常上人は、鹿児島開教に生命をかけた父・本寂上人...
2020.06.19 08:22〈寺院紹介〉顕正寺熊毛郡屋久島町志戸子27℡ 09974-2-1025 <開教以前> 当地は昔、日蓮宗の流れを汲む地であった。早崎家の先祖である早崎太吉は日蓮宗の僧侶となっていたが、その後、志戸子地区全員と共に真宗に転宗した経緯がある。しかし、その改宗がいつ頃のことか、また何故改宗したのか、その理由については明らかでない。 当時鹿児島と屋久島の間は、年2・3回の便船しかなく、一度出鹿すれば長年月鹿児島に滞在し、屋久...
2020.06.19 08:20〈寺院紹介〉光照寺薩摩川内市寄田町135℡ 0996-27-3964 <沿革> 此の地寄田に、当寺の開教がなされた当初の記録は何も現存していないが、当地の99%までが、白砂青松の間から眺むる甑島より移住してきた人達であることから、かつて甑島に於いて興正派の門徒であった人々が中心となり、鹿児島興正寺別院に担任教師の派遣を要請したのがそのおこりと推察される。 かくして、この地に初めて御縁を結んだのが、時の興正寺別院在勤...
2020.06.19 08:14〈寺院紹介〉高台寺霧島市牧園町高千穂3864-5℡ 0995-78-2304 <由来> 大正の初めの頃、奈良県宇智郡阪合部村樫辻の西本願寺派専崇寺の住職・坂口昭円は、本願寺布教師として、熊本県下の布教の序として、鹿児島の霧島温泉を紹介された。そこで、現地の状況を見聞してみるに下記の如き様相であったと伝えられている。 「当地には、三里離れた所に西本願寺派の寺院はあるも、参詣に不便をかこち、葬式も出来ぬまま葬ること度々...
2020.06.19 08:11〈寺院紹介〉瑞光寺日置市金峰町宮崎2960℡ 0993-77-0174 <開基住職> 開基は桑土僧雄になる。 元来本派であったが、明治9年興正派に転派。以後しばらく、兵庫県下摂津国武庫郡西武庫村の養専寺の衆徒として在籍の後、明治12年4月28日、再び薩摩の地に下り、鹿児島興正寺別院に着任した。その後、日置・永吉・吹上を中心に教線の拡張に専念する一方、故郷長崎との間を往来している。しばらく鹿児島別院の着院簿よりひろっ...
2020.06.19 08:08〈寺院紹介〉西岸寺南さつま市金峰町宮崎4365-1℡ 0993-77-0177 <開基・初代住職 桑土僧雄> 開基は、桑土僧雄(天保6年正月元旦生)といい、長崎県南高木郡杉谷村(現在の島原市杉谷下山寺)の本願寺派西方寺第十二代住職であった。 薩摩開教のきざしのみえた明治6年、西本願寺の命により、大洲鉄念等と共に薩摩に下り、鉄念は薩摩郡を巡錫し、桑土僧雄は吹上町永吉村に滞在の後、吹上町和田助代赤ケ谷の下薗次郎宅に身を...
2020.06.19 08:06〈寺院紹介〉厳浄寺日置市吹上町中之里862℡ 099-296-2178<厳浄寺の創立> 鹿児島県薩摩国日置郡伊作村字中之里 真宗興正派 説教所 右ハ明治拾壱年拾壱月四日御認可ノ上建築仕爾来永続ノ見込モ確然相立候処云々。(当寺院創設願参照) とある。 これによって、明治11年11月4日に、真宗興正派説教所として創立の認可を受けた事が判然としている。更に注目すべきは、現在の本堂建立は、上棟式の時の板書に、明治1...
2020.06.19 08:03〈寺院紹介〉円徳寺日置市吹上町田尻1765 <沿革> 円徳寺の前身は、宝集山興焉寺と号す。 永正16年己卯歳、島津太守忠隆痘疹を患い4月死す。伊作島津家十代の主忠良(日新公)の養父・島津運久は伊作田尻宝集庵に於いて太守忠隆の位牌を安置、衆僧を請し3日間の追弔法要を執行し寺格を授け、宝集山興焉寺と改称した。 興焉寺は五山派伊作多宝寺に属し、十一面観音を安置、代々の住僧学徳兼備し、衆庶の身光篤かったが、明治元年の廃仏...
2020.06.19 08:00〈寺院紹介〉光明寺南九州市川辺町平山3033℡ 0993-56-0586光明寺の歴史・寺院 現在の鹿児島県と宮崎県の一部が、昔、薩摩・大隅・日向と呼ばれ、薩摩藩(島津氏)の支配下にあった時代、この地方では浄土真宗は禁じられていました。浄土真宗禁制時代、薩摩の念仏に生きる人々は、厳しい弾圧が繰り返される中においてもお念仏を決して捨てなかったのです。その歴史を【かくれ念仏】といいます。 川辺郡地方に、無辺講という強力な...
2020.06.19 07:57〈寺院紹介〉信行寺南九州市川辺町高田1984℡ 0993-56-3524 鹿児島開教以前、川辺を中心に知覧・勝目にと範囲の広い「無辺講」という一つの強力な真宗門徒の結社があった。信者たちは其の講によって密かに念仏相続していた。 明治9年10月、鹿児島の地に本寂上人が御来教化されたのであるが、この「無辺講」の世話方数名は、10月25日に上人をたずね興正寺門徒加入を願い出て、翌26日、直々に上人の御教示をうけ、川辺の無...
2020.06.19 07:52〈寺院紹介〉教行寺南九州市知覧町東別府10317-5℡ 0993-84-0843 <沿革> 開基住職の早川教雄は京都府相楽郡の出身で明治30年11月鹿児島に来る。やがて大正2年6月頴娃村上別府の青戸説教所に初代駐在教師として赴任した。在任中知覧村浮辺の朝隈次右ェ門から細布講への布教の依頼を受け当地に来る。そして次右ェ門をはじめ朝隈武熊・安藤澤助から御本尊(黒こげ本尊)の謂われと、一宇建立の願いを聞いた教雄は、同浮辺...