鹿児島市街地のかくれ念仏
黎明館(鹿児島県歴史資料センター)
鹿児島県鹿児島市城山町7番2号
持念仏
19世紀後半・浄福寺蔵 花岡島津六代久誠の妻が、文政7年(1824)に日置島津家から嫁ぐときに持参した仏像である。
隠横目報告
18世紀中頃出水郷においては、隠横目(スパイ)を水俣に潜入させて信者の行動を報告させていた。この覚は隠横目が信者を装い一向宗(西念寺)の薩摩部屋に潜入して信者の氏名などを報告したものである。
講銭・御香銭受領書
明治5年(1872)9月14日。鶴田郷紫尾小路集落の「川北二十五講」の一向宗信者たちが、集金して水俣の源光寺を経て本願寺に上納した講銭・御香銭の受領書である。源光寺には信者たちの隠部屋「薩摩部屋」があった。
浄土真宗本願寺派鹿児島別院
鹿児島市東千石町21−38
涙石
「男子は割木の上に座しめ、膝上に五・六拾斤の石を載せ、左右より短棒にて打擲致し、皮肉破れ、血流、脚骨砕…」『薩摩国諸記』
旧薩摩藩時代、島津氏の領内では浄土真宗の教えは厳しく禁じられていて、信者の疑いあるものは捕らえられて自白を強制されました。
この石はそのために用いられたもので、役人たちは信者にこの石を抱かせて自白を迫ったと伝えられています。信者たちの苦しみの涙がそそがれた石という意味で涙石と呼ばれています。
なみだ石 涙にぬれて もだしけり
まことの命 ためさるるとき
(梅原真隆)
境内の説明板より抜粋
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