2020.07.02 01:20日置のかくれ念仏和田かくれ念仏洞窟吹上町和田 中和田の町道阿弥陀坂から農道を北方に100メートル余り登った左手に、かくれ念仏の跡と言われる洞窟がある。昔は通路から入り口も見えない地形で、高さ10メートル程のシラスの崖下に、幅3メートル、高さ2メートル。 穴の入口上部の崩れ落ちた土砂が流れ込み、長い間埋まった儘であったが、最近穴の中央1メートル幅くらいの土砂を取り除くと、入口から30メートル程奥行きがあった。昔は抜...
2020.07.02 01:00南さつまのかくれ念仏二世観音加世田市相星 相星川を1500メートルぐらいさかのぼった所に、巨岩でできた洞窟がある。 ここは1580年頃に内田二世が建てたといわれる二世観音が祭られ、加藤家が代々格護(花水を供える)していた。 江戸時代、藩の厳しい弾圧を逃れ、表面上は禅宗や真言宗を装いながら浄土真宗(一向宗)の信仰を守り続けた人々が念仏を唱えていた。 はじめに二世観音だけを安置していたが、一向宗の信仰禁止が厳しくなると、...
2020.07.01 21:59知覧・川辺方面立山のかくれあな知覧町知覧町立山集落の現在竹林になっている所に隠れ穴がある。一向宗禁制の時代から明治の廃仏毀釈の時代まで、同行達が取り締まりの目を逃れて阿弥陀仏を拝んだ聖地である。洞窟の前には人家があったという。入口は這って入るように低いが、中にはいると北に6メ-トルくらいほり、それから左にまげて4メ-トルばかり掘って中は歩けるゆとりがある。今は土塊が落ちて平坦ではないが、当時はへいたんであったに...
2020.06.22 21:36谷山のかくれ念仏昭和四十二年発行の『谷山市誌』によると、谷山にはかくれ念仏の名残の洞窟が各所に残っていると記され、11ケ所が紹介されている。しかし今は崩れたり、道路開通・宅地造成の結果、跡形も残っていない所が多い。 山田町札下の洞穴入口幅1メートル、高さ1.2メートルで、2メートル進むと壁に突き当たり、真っ暗で何も見えない。右に曲がると四畳位の広さで、御本尊を置いた場所、明り台の跡もある。左に曲がると10メートル...
2020.06.22 21:33吉野・吉田のかくれ念仏吉野のかくれ念仏の洞穴薩摩藩では、一向宗(浄土真宗)の教義(親鸞のおこした仏教宗派。阿弥陀仏に救われるかぎり師も弟子もない。信者を同朋同行とよんで平等であるという)が、領主権力の軽視にまで発展するということで、400年もの長い間禁制とし、徹底した取り締まりを行いました。一向宗の信者たちは、かくれて洞穴の中で仏像を拝み、念仏をとなえ信仰を続けました。その名ごりが、吉野地区には、12カ所残っているとい...
2020.06.22 21:14鹿児島市街地のかくれ念仏黎明館(鹿児島県歴史資料センター)鹿児島県鹿児島市城山町7番2号持念仏19世紀後半・浄福寺蔵 花岡島津六代久誠の妻が、文政7年(1824)に日置島津家から嫁ぐときに持参した仏像である。 隠横目報告18世紀中頃出水郷においては、隠横目(スパイ)を水俣に潜入させて信者の行動を報告させていた。この覚は隠横目が信者を装い一向宗(西念寺)の薩摩部屋に潜入して信者の氏名などを報告したものである。 講銭・御香銭...