〈寺院紹介〉興隆寺

日置郡松元町上谷口1699-59

℡ 099-278-1046


 <沿革>

 当寺開教は、早川隆雄によってなされた。

 京都府相楽郡和束村極楽寺に於いて誕生。父である早川教雄は、単身鹿児島開教の為、明治30年下向。以来知覧村の浮辺に大正3年仮説教所を開設したのを機に、満17年3ケ月にして母子を呼び寄せた。その時早川隆雄は11歳であった。

 大阪より汽船で鹿児島に着き、別院一泊、鹿児島より汽船で喜入につき、喜入より3里、牛にスイカを入れるカゴ2つのせ、兄弟3人(池田寿雄7歳、早川胤雄3歳)その中に乗せられて、小田代の峠を越えて浮辺に着く。

 浮辺説教所はその後、昭和2年に正式に説教所設立の認可を受け、昭和6年本堂建立、昭和12年3月教行寺と寺号公称がなされた。

  【饅頭石入村】

 折しも同昭和12年5月中頃、小磯新八が、早川隆雄を教行寺に尋ね、「先般、頴娃村新牧の出身で、現在日置郡上伊集院饅頭石駅前で製茶業を営む佐多善蔵を商用で訪れた際、同所は聞法不便の地で、従来寺院の設立を要望するも未だその本望を達せず、此の地を開導し、一寺を建立すれば一つには住民年来の宿望を満足し、一つには衆生化益の大業又喜ぶべき事なり」と是非この地に開教して欲しいとの切望を受く。

 ここに早川隆雄は意を決して、同12年12月18日、薩摩郡高江村に教用にて出張の途中下車して、佐多宅を訪問。同地区の室吉之丞宅にて18・19両日布教なす。時に35歳。

 布教中に、同所にての開教の旨を披露し、布教後、佐多善蔵、室吉之丞、中馬義孝と協議し、中馬の借家を借り入れする事を決定すると共に、翌昭和13年1月10日より入村することを決議した。

  【祝・入仏法要】

 開教の基礎が出来上がった昭和13年、協議通り1月10日、上伊集院饅頭石に入村。

 早速同月13日、荒田説教所に別院山崎良信庶務主任を訪問、別院出張所として開教する旨懇談をなした。

 翌14日、饅頭石の地区員6名と共に別院に出頭し、御本尊を鹿児島別院より奉載して帰り、早速同日午後より入仏法要を営む。

 ここに興正寺別院上伊集院出張所として、六畳二間の借家より開かれていったのが、現在の興隆寺である。

 

  <開教のあゆみ>

昭和22年 7 月28日  「興隆寺」と寺号公称 早川隆雄初代住職となる。

昭和23年~24年     本堂建立、落成

昭和44年          県道拡張工事の為、本堂・庫裡を現在地に移転

昭和47年 11月20日  開基住職・早川隆雄往生

昭和48年  2月 6日  早川礼信・二代住職を継承

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