〈寺院紹介〉信行寺
南九州市川辺町高田1984
℡ 0993-56-3524
鹿児島開教以前、川辺を中心に知覧・勝目にと範囲の広い「無辺講」という一つの強力な真宗門徒の結社があった。信者たちは其の講によって密かに念仏相続していた。
明治9年10月、鹿児島の地に本寂上人が御来教化されたのであるが、この「無辺講」の世話方数名は、10月25日に上人をたずね興正寺門徒加入を願い出て、翌26日、直々に上人の御教示をうけ、川辺の無辺講の全員が興正寺門徒となったのである。その後、本山・別院へのおとりもちを続けていたが、鹿児島まで10里余りあり、明治36年頃から説教所開設の意見が高まり、明治39年7月、ようやく高田説教所が認可された。直ちに当寺別院に勤務していた早川教雄が当地に来り、総代の椎原栄蔵と共に300坪の敷地を選び、境内を地割りし早速起工したのである。そして同年旧9月20日、先ず庫裡28坪が完成し、翌月の旧10月9日、本堂49坪が落成したのである。
その後、明治41年旧2月9日に御本尊を購入し、一月後の旧3月18日より19日までの2日間、当時の田宮宗忍鹿児島別院輪番を迎えて、盛大に落慶法要が厳修された。そしてその後は別院直属の寺院として、住職は歴代の別院輪番がこれに当たり、駐在教師が交代で法務を勤めることになったのである。
<寺号の由来>
昭和23年「信行寺」と寺号公称されたが、明治41年に購入した御本尊(木像)の背中に「興正寺門徒光瀬寺下城品 綴喜郡田辺村 信行寺」と記されているところから「信行寺」としたものである。また、御足に「康尭」の名があり、作者名かと思われる。しかし、この御本尊を何処で購入したものかは現在は不明である。
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