鹿児島教区 とは

真宗興正派には全国7教区(北海道・大和・阪神・東讃・西讃・鹿児島・特設中央)があります。鹿児島教区には鹿児島県と宮崎県の寺院が所属しています。詳細は〈寺院一覧〉をご覧ください。


真宗の教章 私たちの願い

・宗旨:浄土真宗

・宗祖:見真大師親鸞聖人

     承安3年(1173)4月1日~弘長2年(1262)11月28日

・宗派:真宗興正派

・本山:円頓山 興正寺

・本尊:阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)

・経典:浄土三部経

     仏説無量寿経(大経)

     仏説観無量寿経(観経)

     仏説阿弥陀経(小経)

・教義

「教行信証」の教示にもとづき、阿弥陀仏の名号を聞信する一念に、必ず仏になる身となり、念仏を相続し、報恩行に精進するものである。

・宗風

この教団に属する人々は、親鸞聖人の教えをいただき、深く因果の道理をわきまえ、迷心にとらわれず、正しく生きぬき、人類の幸せと平和に寄与するように努める。

・私たちの願い

   み仏の教えに従い すなおな人間となろう

   み仏の誓いを信じ よろこびを知る人間となろう

   み仏の光を仰ぎ 反省深い人間となろう

   み仏の恵みを頂き いのちを大切にする人間となろう

   み仏の御名を称えつつ 使命に生きる人間となろう


鹿児島興正寺別院

 明治9年(1876)9月5日、鹿児島に「信教自由の令」が布達されました。同年9月13日に西本願寺から別派独立した興正寺第27世本寂上人は、10月8日に鹿児島開教に着手され、第28世本常上人もまた鹿児島開教に尽力されました。

 明治11年(1878)5月16日、鹿児島興正寺門徒の悲願であった説教所が小川町に設立され、同年11月には鹿児島興正寺別院として歩みを始めます。その後、別院移転の計画が進められ、明治27年(1894)、長田町に土地を購入し、明治31年(1898)より本堂の建設が開始されます。日露戦争の影響もあり、10年後の明治41年(1908)に本堂が完成し、大正12年(1923)には、当時では珍しい山門と鐘楼を兼ねた鐘楼門が建造されました。

 昭和20年(1945)6月17日、7月27日の市内大空襲により、長田町別院は焼失してしまいましたが、御本尊は疎開していたため焼失を免れました。

 その後、戦後の市内区画整備に伴い、昭和22年(1947)6月、長田町から現在の高麗町へと別院を移し、仮本堂が建立され、5年後の昭和27年(1952)に鹿児島興正寺別院の本堂が竣工されました。

鹿児島興正寺別院

鹿児島県鹿児島市高麗町19-12

tel. 099-254-0351